ーーーまずはご自身の事業内容を教えてください。

はい、ヘラルボニーは日本全国って言っているんですがこれを世界全体にしていこうと思っていて、アートに特化した福祉施設の皆さんや、障害のある作家とアートのライセンスの契約を行いアート作品を基軸として様々な物だったり事だったり場所に落とし込んでいく、という事業を行っています。
目的としては、「障害」と口にした時に欠落と連想するのではなく、個性とか特性とか、色々な形で脳や認知が変換されていくような、そうすることで多様な人たちが一歩踏み出させるような状況を作っていくことを目指している会社です。
障害のある方たちに対してネガティブなイメージがあると言っている8割の人たちがヘラルボニーのプロダクトを通じて、オセロのように「ポジティブ」にひっくり返される仕組みを作れるところが私たちの強みだと思っています。そして市場以上に思想を拡張していく会社だと思っています。
スタートアップの世界では通常、どのぐらいのマーケットがあるのかというところからスタートすること多いかと思いますが、私たちはそもそもスタートアップをやりたいという意識からスタートしておらず、こういう形を社会に提示したいっていうところからスタートしています。
ーーーこの事業を始めよう思ったきっかけを教えてください。
原点はやはり兄の存在です。
重度の知的障害を伴う自閉症の兄がいて、私は小さい頃からそんな兄に対して周囲からアンコンシャスバイアス的にネガティブな価値観があると感じていました。障害がある=かわいそう、というバイアスがかかる状態そのものにすごい違和感がありました。
兄自身も非常に豊かに幸せに生きている瞬間もたくさん存在しているわけですが、「できない」っていうことへのフォーカスが、世の中では一般的になってしまっていると思います。いかにマイナスをゼロに近づけるのかではなく、すでに1が存在しているんだったらそれを100でも1,000でも10,000でも捉え方によって大きく変えられると思った時に、アーティストの可能性に感動したというのが原点です。
元々、就労支援施設を立ち上げたいということ自体は高校のぐらいから思っていたんです。それというのも、自分の兄が中学校の頃とかに自閉症スペクトラムを省略してスペって馬鹿にされていた時、自分自身も兄という存在を隠していた時期とかもあるんですが、別に隠す必要がないじゃないかって思いつつも、なんか空気間的には隠さなきゃいけない状態が自分の弱さから出てきてしまっていたと思うんです。
でも、「周囲がバカにする文化」が当たり前に存在している状況をすごく感じる瞬間があって、堂々と喋っていいという状態を強く作りたいなと昔から思っていました。
そして、どうやったら変えられるだろうと考えを巡らせ、障害のある方たちの特性や彼らが好きなことに合わせた就労の新たな仕組みを作れたらいいなと考えていました。
そして、どうやったら変えられるだろうと考えを巡らせ、障害のある方たちの特性や彼らが好きなことに合わせた就労の新たな仕組みを作れたらいいなと考えていました。
実際、高校時代から部活が終わった後にボランティアに行ったりして、いずれ双子で何かやりたいねっていうのはずっと喋っていたと思います。
それで、24歳の時にお互い別々の社会人になったんですが、私の双子の崇弥が初めて障害があるアーティストのアート作品を見た時にすごく感動して、しかし当日は「障害=支援」すなわちCSRみたいなことが一つのバイアスになっていたんです。
結局、こういうものを変えられることの方が社会の価値観を強く変えられるんじゃないかと強く思い、非営利という形ではなく株式会社でやることにしました。そして自分の兄だけでなく色々な人たちの幸せに影響を与えていく会社を作った後で就労とかをやれる方が面白いのではという話をしたと記憶しています。

ーーーご自身は東北学院大学に在学中はどんな学生でしたか?
一言で言うと真面目な学生ではなかったと思います。それは多分誰に聞いてもそう言うと思いますね・・・笑
授業にもそんなにしっかりと出るわけではなく、どちらかと言えばアルバイト、というか働く方に思いきり精を出した感じだったと思います。本当に300万円いかないくらいまで稼いでいましたので、今130万円の壁とか言われていますがそれをガンガン超えるくらい働いていたと思います。
でも、大学時代は色々な人たちに育ててもらったと思っています。その仲間たちを含めて東北学院大学は自己効力感を育む教育はあるのではないかと思っています。「自分はできる!」とそのような信じる力が周りの空気感として作られている気がして、小さな成功体験みたいなものを積み重ねられるような雰囲気や空気感があったのではないかと思っています。
そのような、チャレンジを当たり前にする文化みたいなものを作りやすい大学だと思っています。
私は大学では卓球部に所属していました。大学一年の頃インカレに行ったりなど、唯一1年生でレギュラーを取れるなど比較的頑張っていたと思うのですが、一年生の後半とか二年生の前半ぐらいから、自分の人生において俺は卓球でプロになるわけじゃないって思い始めてしまったんです。卓球で食べていくわけでもないし、これをずっとやって何になるんだろうと考えてしまったんですよね。
一年の後半の時にアルバイトをスタートしたんですが、そこで色々な人たちとの出会いがあって、さらに海外に行く機会もあった中で、そちらの方がとても刺激的で、どうせやるんだったら、自分の視野をもっともっと広げていきたいなと考えて三年目の前半で卓球はやめることを決意しました。
ーーー東北学院大学在学中に学んだ、または経験したことで今に生きていることはありますか?
授業にあまり出ていなかったので、勉強で役に立ったというのは正直あまり記憶にない感じです・・・笑
私の場合、大学生時代はむしろ大学外での学びが多かったかもしれません。大学時代は自分でクライアントに企画の営業をかけて仕事を取ってくるような、もはやバイトとは言えないような仕事をやっていたわけですが、それを通じてこうするとどのぐらいの成果があがってどのくらいの金額をもらえる、みたいなことを学び、だいぶ鍛えられたような気がします。
その仕事を通じて本気で自分で考えて行動して営業先に行くっていう仕事は、契約を取ったら取った分が報酬という完全インセンティブでしたので、そこでスモールサクセスや失敗経験をたくさん積み上げられたことは自分の人生にとって大きかったと思います。
ーーー将来スタートアップを目指したい学生に対してのメッセージをお願いします。
とにかく自己効力感がすごく大事だと思います!
これがないと自分のビジネスの場合、「障害のある人のため」になってしまうと思うんです。
ヘラルボニーにおいても、採用において大事にしていることは本当に自分がやりたいかどうかなんです。例えばヘラルボニーにおいては、「障害のある方のため」となると、「あなたたちは障害のある方のためになっていない」という批判が来たとすると、メンタルがすぐにへこんでしまいます。
結局は、これは自分としてどうやりたいのかっていうことに尽きると思うんです。それを養っていくことが結果として起業家に一番大切な部分だと思っています。
ビジョンとか目指す部分は情熱的だとしても頭は比較的クールじゃなければいけないと思っていますので、そのバランスを保てる「自己効力感」を作れていく環境やそれを養っていくことがとても大切だと考えています。
東北は東日本大震災を含めて様々な困難が多々あった地域です。だからこそ私もゼネコンに就職するという選択をしましたが、それも決して遠回りではなくむしろ最短距離だったと今は実感しています。
ですので、何がどうつながるかわからないことだと思いますので、自分の選んだ道を正解にするという意思を持ち続けるっていうこと、そこを応援したいといつも思っています!