ーーー 現在、どういった事業を展開されていますか?
現在、「マイムケア」という介護サービス事業を行っています。介護が必要になっても住み慣れた地域・自宅で最後まで暮らすことを応援するため、訪問介護・居宅介護支援・小規模多機能型居宅介護・サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)といった在宅介護のサービスを若林区と太白区で行っています。
また、2021年にNPO法人スロコミを設立。以来、”他人以上、友達未満”の関係性を大切にしながら、地域共生社会の実現に向けたさまざまな活動をしています。スロコミというのは、「slow communications」の略で、私たちが作った造語です。忙しい時代だからこそ、じっくり時間をかけて出会いや対話を重ね、地域でのゆるいつながりを楽しんでほしいという思いが込められていて、その考えに賛同してくれた人たちとともに地域の中で様々なアクションを行っています。具体的な活動としては、月に一度のアイディア妄想会議「ながまち会」や「コーヒー焙煎部」「スロ茶屋」など、地域住民が集まる場や機会を提供しています。
また、2025年春に仙台市河原町に「スロコミBASE」というコミュニティスペースをオープンし、今後の使い方について地域の人たちと一緒に計画を立てています。最近では大学生が主体となって、まちづくりについて考えるイベントを行ったり、地域の方が主体となるワークショップを企画したりするなど、幅広い世代の集まる場となっています。このように、地元に根ざし、効率よりも顔見知りとの繋がりを丁寧に育む「スロースタイル」の交流を積み重ねる場づくりを続けています。
ーーー 事業を始めたきっかけと、現在までの歩みについて教えてください。
私がこの仕事に入ったのは、夫が介護事業を始めたことがきっかけでした。当初は「介護の仕事をする人は、天使のような慈悲深い心を持った人たち」と思っていたので、自分には到底できないと思っていました。
しかし、実際に現場に入ってみると、まったく違う現実があったんです。最初に強く感じたのは、高齢者や認知症の方が、“人として尊重された扱いをされていない”ことでした。利用者さんに話しかけても「どうせ通じないから」と言う介護職員がいたり、、利用者さんがやりたいと希望したことを「危ないから」と、止められたり。そのような様子を目にするたび、「これが将来、自分が受けることになるかもしれない介護の姿なのか?」と違和感をいだきました。
また、若者たちの介護や高齢者に対する“無関心”にも問題意識を持つようになりました。いずれは誰もが高齢者となるのに、そのことを身近に感じてもらえない現状があります。介護の仕事だけでは高齢社会の課題は解決できません。そのため、介護に関心のない人にも「介護」や「高齢者の暮らし」に関心を持ってもらえるような仕掛けをつくり、実際に参加してもらう必要があればと考えるようになりました。
ーーー 現在向き合っている社会課題について教えてください。
私たちが特に大事にしているのが、“お世話しない介護”という考え方です。私たちはこれを「ありがとうのフィフティーフィフティー運動」とも呼んでおり、介護される側が「申し訳ない」とか「ありがとうを言わなきゃ」といった負い目を感じずにいられる関係性を目指しています。
そのために、自分でできることはなるべく自分でやってもらい、職員はそのきっかけや環境を整える役割に徹するようにしています。 例えば、あえて畳んでいない洗濯物をテーブルに置いておくことで、利用者さんが自ら片付けたり、「やろうか?」と声をかけてくださったりします。そうしたときに「ありがとう」と伝えると、「自分が人の役に立てた」という実感が生まれ、「生きがい」につながります。その他にも、畑で野菜を育てたり、烏骨鶏を飼ったりすることも、利用者さんの役割づくりのひとつです。中には、事業所のある町内の清掃や草取りを担当してくれている100歳の利用者さんもいらっしゃいます。
実際、こうした活動を通して、利用者さんが元気になっていくのを目の当たりにしてきました。例えば、転倒の回数が減ったり、便秘が改善したりといった変化が見られたり、行動制限がなくなることでストレスが軽減され、認知症特有の行動が落ち着いたりするケースがあります。生き生きとした様子の利用者さんと関わる中で、医療や制度に頼るだけでは得られない効果を、日々強く感じています。
また、「介護に関心のない人も巻き込む仕掛け」にも力を入れています。たとえば、事業所の一角で運営している駄菓子屋があります。これは、子どもたちのための場として運営していますが、実は利用者さんの生きがいづくりにも大きく関係していて、子どもたちにお菓子を配ったり、一緒に話したりする中で、自然な関わりが生まれています。
さらに、毎月開催しているコーヒー焙煎のワークショップでは、地域の人が焙煎した豆を、利用者さんが挽いてドリップバッグに詰めます。そこには「焙煎した人の名前」「挽いた人の名前」をラベルに書いて、間接的なつながりを可視化しています。コロナ以降、なかなか直接的なかかわりが難しい時期もありましたが、このような小さなつながりをつくることで、地域の人たちの交流を促進しています。
ーーー 今後の展望についてぜひ聞かせてください。
これから目指すのは、「誰もが自分らしく生きられる共生社会」の実現です。最近では「共生社会」という言葉をよく耳にしますが、その中に認知症の方も含まれているという意識は、まだ十分に浸透していないと感じています。
また、“人として尊重され、できることを奪われない介護”を当たり前にしたいと考えていますが、それを理解してもらうにはまだ時間がかかると思っています。実際、最初に立ち上げた施設では、経験のある職員が「管理・制限する介護」を当たり前に実践してしまい、私の考えとはぶつかることが多く、苦しい時期もありました。しかし、その経験が、「介護職員と利用者だけの関係性では限界がある」「もっと地域全体で関わる必要がある」という気づきにつながり、地域を巻き込んだ介護のあり方について考え行動するきっかけにもなりました。
私の目指す介護を社会で当たり前にしていくためには、今の介護保険制度の重度化するほど利益があがる仕組みを見直して、自立を支える仕組みが必要です。また、地域と連携しながら、もっと「互助」が息づく社会をつくっていきたいとも考えています。国や自治体任せではなく、地域でできることを取り戻すことで、地域が支えあっていくモデルを作っていくことが今後目指していきたい介護の姿です。
そのために、毎月実施している認知症サポーター養成講座をパワーアップさせていきたいと思っています。この講座ではただ知識を詰め込むのではなく、ワークショップ形式にしたり、実際の場面を疑似体験できるようにしたりして、楽しく理解を深めてもらえるように工夫しています。また、今後この講座に関する教材の開発など、教育的な側面にも力を入れ、学生や一般の人が、実際の現場や考え方に触れられるような場所にしていきたいと思っています。
ーーー ご自身は東北学院大学に在学中はどんな学生でしたか?
大学では史学科に所属していました。地理学を学びながら、何となく「旅行関係の仕事がしたいな」と考えていたくらいで、「やりたいこと」があまりはっきりしていませんでした。
そんな中、教授に声をかけられ行った、フィリピン・レイテ島でのホームステイで、現地の暮らしにどっぷりと入り込むような日々を送りました。トカゲが這うような小屋に泊まったりと日本にいるだけではなかなか体験することのない出来事に触れ、「私は大体どこでも暮らしていけるな」と感じました。
その後、観光業界に就職し世界各地にいきましたが、どんな環境でも柔軟に現地の方々と関わることができたのは、まさにレイテ島での経験があったからこそと感じています。
大学時代に身につけた「フィルターを通さずに人と接する姿勢」は、現在の活動にも深くつながっています。
ーーー 将来スタートアップを目指したい学生に対してのメッセージをお願いします。
今、「やりたいこと」が見つからない人も、焦る必要はないと思います。
選択肢が多いからこそ、正解を探したくなるかもしれませんが、色々な経験を通して、自分の中に少しずつ積み重なっていくものがあり、それがやがて「やりたいこと」に変わっていくのだと思います。
私自身もそうでしたが、目の前の問題に直面したときに「なんとかしなくては…!」と、初めてやりたいことが見えてきたり、使命感が芽生えてくる場合もあります。海外での体験や人との出会いが、その大きなきっかけになることもあるでしょう。
また、「こうはなりたくない」という思いが、逆に大きな原動力になることもあります。だからこそ、「おかしいな」「変だな」と感じたことを見過ごさず、「何とかしたい」という気持ちを持ちながら過ごしていくことを大切にしてほしいです。
