ーーー現在、大学ではどのような研究をされていますか?
現在取り組んでいる研究テーマは、日本の農地の集約と、それによる農業の生産性向上です。日本の農地の問題の一つとして、農家の耕作地が複数箇所に分散する、いわゆる「分散錯圃(ぶんさんさくほ)」というものがあります。簡単に言うと、一人の農家が耕作している農地があちこちに分散していて、その管理に非常にコストがかかってしまっているということです。
これがなぜ起こったかというと、戦後の農地改革によって小規模な自作農の方々が増えた状態から、しだいに離農していく農家の農地を引き継いだのが、必ずしも隣接した農家ではなかったという事情があります。この分散が移動時間の無駄、大型機械導入の困難さ、ひいては生産性の低下という問題を引き起こしています。
農地があちこちに点在していると、それぞれに機械を運ばなければならず、複数の機械を使う必要が出てきたりと、設備投資が十分に活きないという課題があります。一方で、農地を近くに集約できれば、1台の機械でまとめて作業ができるため、効率が大きく向上します。さらに、農地がまとまっていれば移動の手間が省けるので作業時間も短縮されますし、結果として生産性も上がります。つまり、農地の集約によって「移動時間の短縮」「資本コストの削減」「生産性の向上」といった、具体的で大きなメリットが得られるのです。
この問題の解決策として、経済学の「マッチング理論」を応用した研究を共同研究者である小野寺直喜さんとともに進めています。
マッチング理論とは、経済学の中でも「人や組織を、どうすればお互いに納得できる形で結びつけられるか」を探る理論で、就職、学校、医療など、私たちの日常に深く関わる分野で使われています。
我々が現在取り組んでいる農地のマッチングの仕組みについては、非常にシンプルで、ユーザーが現在耕作している土地が地図上に視覚的に表示され、手放したい土地、耕作したい土地を直感的に指定・入力できるようになっています。これにより、誰でも問題を理解しやすく、集約による解決策を具体的にイメージできるモデルを提供しています。
ーーーこれまでの歩みを教えてください。
私はもともと北海道の出身ですが、2021年に共同研究者と岩手県の政策コンテストに入賞したことをきっかけに2022年に初めての実証実験を盛岡市で実施して以来、岩手県をフィールドにしてきており、東北には親しみを感じていました。その後、広島の大学で行った研究がメディアに掲載されたのですが、その際に特に東北からの反響が大きかったという経緯もあり、自然と「東北で何か仕事が増えていきそうだな」という感覚を持つようになりました。
私が「農地集約」というテーマに取り組んでいるのは、経済学の知見を使って、現実の社会課題にどうアプローチできるのかを、現場で確かめてみたかったからです。私は経済学のなかでも『実験経済学』という、理論を実験により検証する分野を専門としています。現在は、実際の現場で実験を行う「フィールド実験」という手法に関心があります。
今回の研究のきっかけは、大学院時代に出会った現在の共同研究者である小野寺さんとの関係でした。彼は当時から農政を専門に研究していて、修了後は岩手県庁に就職されたのですが、行政の現場に身を置きながらも、ずっと研究を続けていたんです。
あるとき、小野寺さんから「地域の話し合いの場で、効率的な農地の交換ができれば農地の集約に繋げられる」という話を聞く機会があって。それを聞いて、私の頭にふと浮かんだのが「マッチング理論を応用できるのではないか」というアイディアでした。需給のマッチングや配分の最適化を扱う理論なので、農地の分配にも使えるかもしれないと。
実際にシミュレーションしてみたところ、予想以上に効果が大きいことが分かり、これを提案として形にしてみようということで、政策コンテストへの応募に至ったんです。
その後、社会実装を推進するため「一般社団法人Tannbo(タンボ)」を設立。私が研究開発をメインで行い、小野寺さんが社会実装をメインで進めつつ、現在は相互に学術と実務を乗り入れするという体制を整えてきました。
ーーー社会との接点となる取り組みにはどのようなものがありますか?
「農地集約」においては、自分の耕作地と他人の耕作地を交換する必要が生じます。しかし、たとえ誰かが「この土地はいらない」と思っていて、別の誰かが「その土地が欲しい」と思っていたとしても、その情報がうまく共有されていないのが現状です。土地を手放すにも、「誰が引き受けてくれるのか」がわからず、情報の不足が大きな障害となっています。
また、情報を収集できたとしても、それぞれの希望が食い違うため、調整は非常に難しくなっています。今は、地図を広げて数人で「どうするか」を話し合う方法が主流ですが、このやり方では一度に話せる人数が限られ、それでも、合意形成に時間がかかってしまうことが多いです。
そこで我々が提案しているのが、専用Webアプリ(農地マッチングアプリ)の活用です。現在開発中のアプリでは、ユーザーが現在耕作している土地と、他のユーザーの土地が視覚的に表示され、耕作したい土地と耕作したくない土地を直感的に指定・入力できるようになっています。具体的には、「新たに農地を拡大して耕作したい人」と「何らかの事情で農地を手放したい人」の2種類の情報を効率的に収集し、システム上で最適な土地の交換を成立させることを目指しています。
これまでの具体的な実装ケースとして、岩手県盛岡市など自治体との連携事業があります。
盛岡市では令和4年度から調整を開始し、令和5年度には盛岡市都南地区で登録以降情報数約47.7%である56組の農地マッチングが成立し、土地の交換が実現しました。令和6年度はさらに広いエリアで、2,300以上の農地を対象に取り組みが続いています。
また、一般社団法人では、令和6年度に宮崎県の2つの市町村で農地集約の実証事業を行いました。このプロジェクトは一般社団法人として法人設立後初めての受託事業で、対象が「畑地」だったことが大きな特徴です。県や農業振興公社と連携し、マッチングの仕組みを使って、2,800以上の土地情報から「耕作したい」という意向と「耕作したくない」という意向がマッチした134組の農地を特定しました。これにより、実際に農業経営体同士が農地を交換できるよう支援が始まり、畑を対象にした先進事例として、今後の広がりが期待されています。
ーーー今後、どのようなビジョンを描いていますか?
最終的には、こうした仕組みを国全体のスタンダードにしていきたいと考えています。現状では、まだ農地をどうまとめるかのルールが地域ごとにバラバラで、明確な「集約の指標」もありません。誰もが共通の仕組みを使えるようになれば、行政が明確な目標を設定しやすくなり、全国規模での農業改革を後押しするための基盤が整うと考えています。
また、近年アプリやウェブサイトの活用に対する人々の抵抗感が減っていることも、社会実装の大きな追い風となっています。特にコロナ禍以降、高齢層を含めてスマートフォンやSNSが生活に浸透し、「農業にITは難しい」という固定観念も和らぎつつあります。
私たちが開発した農地マッチングアプリは、地図を使って視覚的に操作できるため、誰でも直感的に利用できます。LINEやスマホを日常的に使う高齢の農家も増えており、担い手の高齢化や離農が進むこれからの時代にも、農地が効率的に引き継がれ、大規模化していく静かな革命を目指しています。それを、我々のプロジェクトで実証し、見える形で提示していくことが、今後の重要なテーマだと考えています。
その実現に向けて、現在は市町村をまたぐ農地集約プロジェクトの推進に加え、全国20の自治体を対象とした大規模なランダム化比較実験(RCT)を進めています。このRCTでは、各自治体にプログラムの実施候補地として2つの地区を挙げてもらい、当研究室がそのうち1地区を実施地区(処置群)、もう1地区を非実施地区(対照群)として無作為に選定します。このような設計により、農地集約プログラムの効果を客観的かつ定量的に検証できる体制を整えていきたいと思います。
ーーー最後に、未来の挑戦者である若者たちに向けたメッセージをお願いします。
まずは、身近な課題の解決に本気で取り組むことが大切だと考えています。いきなり大きなテーマに挑むのではなく、足元にある現実的な問題と向き合い、そこから「自分に何ができるのか」を考えること。それが、実践への確かな第一歩になります。
さらに、身近な課題に取り組むことは、共感を得やすいという利点もあります。私の研究でいえば、農地の集約によって生産性が向上するという具体的なメリットが見えやすく、多くの人にその重要性が伝わりやすいため、より多くの共感を集めることができます。そうした共感が広がることで、自然と協力してくれる仲間も増えていきます。
東北の農業問題は、まさにこうした「イメージしやすい身近な課題」の代表例です。農業が日常に根ざしている東北のような地域では、課題意識を持ちやすく、行動にもつながりやすい環境があります。特に東北では農家の方々との距離が近く、「一緒にやってみよう」という雰囲気のなかで、仲間が増えていく感覚があります。私自身、もともと農業に詳しかったわけではありませんが、課題の全体像や背景の仕組みが少しずつ見えてくるだけでも、大きな一歩につながると実感しています。
こうした身近な課題を通じて、学術的な知見を現代社会の問題解決に活かし、実際の現場に落とし込んでいくことの面白さを、ぜひ若い皆さんにも共有したいです。
